まず自己紹介から始めますか、
生まれは中国の寒い地域です。(モンゴルの近く)
私の家族は一つのクラスを想像するほど人数が多いです。
「息子がほしい」と言う父親の期待と反対に母親は七人の女の子を産む記録をしてしまい、一番目の姉が18歳の時、6人の妹を連れている団長でした。すごいでしょ!?
今思うと一番の姉には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
遊びにも行けず、いつも妹達をおんぶして世話してる姉の心境はどうなんだろう、
末っ子で生まれた私は、いつも姉のおさがりばかり着てました。せめて一度は新しい洋服買ってもらいたかったな、、、
私の友達からは、父親のことをおじいさんと呼ばれ、腹が立っていらいらしたこともありました。
姉から聞いた話だけど、私は母親が40歳の時に生まれたそうです。同級生の親はみんな若いのに、私の親だけ年取ってる、、ちょっぴり悲しかったです。
私の時代では国語としは韓国語を習い、小学2年生から中国を習い、中学一年生から日本語を習いました。
「おはようございます」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「これはなんですか」
「それはほんです」、、、
「はじめまして、田中と申します。どうぞよろしくおねがいします」
ほとんど丸暗記です。
教科書の日本語は何ページ、何行に何が書いてあるほど覚えたんですが、会話できるほどでもありません。
春休みになって、日本で留学生活送る六番の姉が帰国してきました。
日本学校の校長先生から電話をもらい、日本語でぺらぺらしゃべってる六番の姉本当に格好よくみえました。ああ、私もいつかそんなふうにしゃべってみたいな、、、、
姉に聞いてみました。
「留学生活はどうですか」
「バイトしながら勉強することって大変だよ、学費、家賃さえ払えばぎりぎり、残りもなし、それに帰国するのにお土産買わなきゃいけないし、今回はちょっと赤字だよ」
六番の姉は最初日本に行った時、知り合いもいないし、言葉も通じないし、かなり苦労したみたいです。眠くて眠くてトイレで寝てしまったこともしばしば、、、、
そんな姉の苦労も知らず、日本に行ったら空から金が飛んでくると思い込んでしまった私は恥ずかしくてたまりませんでした。
寝たろうの私が、果たしてバイトしながら留学生活送れるかな、不安を感じたけど、井の中の蛙になりたくないし、世界を見に行こうと決断、六番の姉と同じ留学の道を歩もうとしました。
苦労の世界がまってることも知らず、日本学校からの許可通知書を首を長くして待っていました。


